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世の中に天使っているのよそんなわけで、見知らぬ他人同士で鎌倉を歩いたわけよ。
その参加者の中で1人、ヘヴィなネットユーザーではない人がいました。
どうやってこのイベントを知ったの?ってみんな興味津々だったんだけど、当日はわからなかったの。
で、翌日、その人からコメントが届いて、「いつも見ているブログに【ガミガミ】へのリンクがあり、それを通じて知ったんだよ・・・」と。
ガミガミをリンクリストにつけてる人か〜、誰だろう?
・・・・・てか、【ガミガミ】も固定ファンいるなあ、スゲーな、と妙に感心よね。
そしたら数時間後、我らが【党首】が
「あの写真に写っているのは、●●に住んでる●●さんじゃない?」と。
ビンゴ!なのよ。
なんだ!党首の友だちだったか・・・と思ったら驚いたのは次のメッセージ。
「数年前から(つまり本物のジョイトイ党首時代)読んでくれていて、ときどきコメントやメールをもらっている。結婚決まったらお祝いも贈ってくれた人。会ったことはないけど・・・」。
ちょっと鳥肌立った。
あの人、天使だ!と思ったわ。
いるのよね、天使っているのよ。
いい話でしょう?
その日は、遠路はるばる化け猫さんも会いにきてくれたし、マダムとも再会できたし。
奇跡のような1日だった。
天使が運んでくれた縁なのかしら、とか。
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ネットの知り合いは、まだ知り合いプロセスでしかないってこと翻って。
ネットていうか、ブログなんかをずっと追っていると、その人のことがわかるようになるし、親近感持ったり持たれたりね。
最近はツイッターとか。
知らない人と盛り上がったり。
だけど、だからといって、会ってすぐに「すっごく仲良くなれる」わけじゃないの。
それがツイッター(の利用だけを一気に盛り上がった)ユーザーって、慣れてないのかな?って思ったわ。
事実は「すこし知っている」ってだけなのよ。
初対面に毛の生えた程度だっていうことなのよね。
・・・なんかちょっと、「ん?」て思ったことあったわ。
ま、大したことじゃないけど。
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「なんだろ、それ?」力
好奇心ていうのは、【好奇心を持ちましょう】とか【持たなきゃね】とか、そーゆーことじゃないのかもね。
もっと本能に近いものというか。
知らないことに出くわした時「なんだろ、それ?」って思えるか思えないかだけのことって気がする。
なんだろ?の時点ではまだ、それが面白いことなのか、自分にとってイイコトなのかはわからないわけだから、ほとんど脊髄反射の領域というか。
自分には関係ない、って思った時点で、自動フィルタリングで除外してしまったら、もうおしまい。それ以上のことは入って来ない。
ただ、好奇心を持つ持たないだけで、いろんなものが違ってくる、って気づいたら、なんかトレーニングはできる気がする。
何が違ってくるって、ひとつには会話力っていうのかな。話題のストックっていうかさ。いろんな人と話がスムースにできるようになる。
深堀りすると、知識になって、やがて教養になるかも・・・と。
実践したら、もっと違うことが得られたり。
「なんだろ、それ?」力。
生まれ持ったものかも知れないけど。
なんでも「知りません」て、つまんないんじゃないかな・・・・
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世の中「陰と陽」な件身近に、とても対照的な2人がいる。
あまりの線対称な感じと、それゆえに表れてくる目に見える差異、について極めて冷静に見ている自分。
両方とも大好きな2人。ジャッジではなく、考えさせられる。
個人としたら、おそらくたぶん、2人ともそれぞれ問題は抱えている。けど、アピアランスがまるで違う。問題の乗り越え方がちがうというか。
両方とも繊細なことは間違いないけど、
1人は陽気で開放的。自分の問題さえも公言してしまうような。
1人は暗く内向的。自分の問題は口を閉ざす系の。
1人はコミュニケーションを取りたがる。人のことをよく見ている。よく気づく。気づいたら口に出してくる。
1人は人と関わりたがらない。人のことは見ていない。言われたことも受け入れない。思うことを口に出すのが不得手で、たまに口を開くとマイナスのことを言う。
1人は好奇心が旺盛で、お!と思ったらトライする。人の意見を取り入れるのが上手い。
1人は自分の世界を守りたい。人に意見されるのを嫌う。
・・・ただねえ、この世は「陰と陽」だから(明るい、暗いの話ではないよ)、そういう要素を持った人間がいて成り立っている。
陽が陰より優れていて、陰は陽に勝てない、とか、そういうことではまーーーったくない。
ただ、ある種の人間は「変わる」もしくは「変える」ということに際して、ものすごく抵抗をもつということ。
変わることはそれまでの自分(とか、そのやり方)を否定されているかの如く感じてしまう・・・という、深層心理の問題、そしてさらに、誰にも褒められないで育ってきた・・・とかの生育過程問題に突き当たって、デッド・エンドなんだ。
いくら、そうじゃないんだよ、次のステップだよ、って周囲が言っても、自分内ハードルを自分で調整することが出来ない。
高かったら、自分で勝手に下げりゃいいじゃんて思うんだけどね、ハードルなんか。
それが思考の柔軟性というもので。
これも一種の思考停止なんだと思う。
きっとそういう自分が好きなんだろう。・・・・って風に私には見える。
まーこれも、好奇心の問題なような気がするね。
まあ、彼がもう中学2年生ではない、ってこと以外は問題ではないかもな。
逆に、周りも彼のことを、まさか中学2年生とは思っていない、ということが問題なのかね?
ただ、非常にクリアに見えるのは、「もったいない・・・」ってこと。
ほんっともったいない。あれだけイイモノを持ちながら・・・・。
早くうまいこと心をほぐして欲しいと陰ながら思ってるわけ。
他にもいろいろあったけど、もう忘れたわ。
私の頭の中の消しゴム現象。