長らく忘れていたが、猫との暮らしとは、そんなもんだ‥‥
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本来なら利害得失が一致しているように見えるはずのネット住民は、適切に政治的な発言すべき議題を投じられないために、日々流される報道や情報にひとつひとつ脊髄反射し、二週間も経つと新しい事件に話題を攫われ、何の議論の成果も出さぬまま、日々を情報の収集と咀嚼に追い立てられ続けているように見える、という現実がある。結果として、コピペサイトで面白い発言が次々と取り上げられ、愉快なコンテンツがネット上に量産されるけど、社会的には負け続けている形となる。
これで消費者庁とか出来ちゃうのがちゃんちゃらおかしいのだが、受け取る側の個別の消費者としての国民、この場合はネットワーカーも相当政治的発言の機会を逸している。ネットと社会に関する研究がこれだけ進んできたにもかかわらず、何の改善もされず、このまま逝くと普通の現実社会のルールの延長線上でネットのルールも決められ、大して面白くない現実社会と同じ風景のネット社会へと揺り戻されることとなる。人間関係がはっきりした息苦しかったころの mixiみたいなネット社会になってしまうのだろうか。
世界中、言語や信教や生活習慣がどれほど違っていても、人々は「ご飯を作り、掃除をする」ということにおいて変わらない。
いずれも人間にとって本質的な営みである。
「ご飯を作る」というのは、原理的には「ありもの」を使って、そこから最大限の快楽を引き出すということである。
金にものを言わせて山海の珍味を集め、腕のいいシェフに命じて美食を誂えさせるというのは「ご飯を作る」という営みの対極にある。
「ご飯を作る」というのは、人類史始まって以来のデフォルトである「飢餓ベース・困窮ベース」に基づいた営みである。
掃除については、これまでブログに何度も書いたが、これは「宇宙を浸食してくる銀河帝国軍」に対して、勝ち目のない抵抗戦を細々と局地的に展開している共和国軍のゲリラ戦のようなものである。
この戦いの帰趨は始めから決まっている。
部屋は必ず汚れる。本は机から崩れ落ち、窓にはよごれがこびりつき、床にはゴミが散乱する。局地的に秩序が回復することはあっても、それはほんの暫定的なものに過ぎない。
無秩序は必ず拡大し、最終的にはすべてが無秩序のうちに崩壊することは確実なのである。
けれども、それまでの間、私たちは局地的・一時的な秩序を手の届く範囲に打ち立てようとする。
掃除をしているときに、私たちは宇宙的なエントロピーの拡大にただ一人抵抗している「秩序の守護者」なのである。
けれども、この敗北することがわかっている戦いを日々戦う人なしには、私たちの生活は成り立たない。
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